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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)7179号 判決

原告

高島信栄こと高信栄

被告

金龍萃

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、四三五八万一一六五円及びこれに対する昭和五九年一〇月一九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

被告は、昭和五九年一〇月一九日午後八時四五分ころ、大阪市生野区桃谷二丁目一九番五号高島商店前路上において、普通貨物自動車(登録番号、なにわ一一わ三三号。以下、「加害車両」という。)を運転してこれを同店倉庫内に入れるため左にハンドルを切りながら後退させていたところ、たまたま右倉庫前路上にいて転倒し足を前に投げ出した原告の両脚部を加害車両の左後輪で轢過した(以下、「本件事故」という。)

このため原告は、左脛骨骨折・左腓骨骨折等の傷害を受けた。

2  責任

(一) 被告は、加害車両を保有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償補償法(以下、「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故により原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

(二) 自動車を運転してこれを後退させる際には、その運転者としては、サイドミラー等で自車後方の状況を認識し、その安全を確認した上で後退運転をすることにより事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告はこれを怠り、後方の状況を認識せずその安全を確認しないまま漫然と加害車両を後退させたため、その進行方向の路上に原告がいることに気づかず、本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づいても、原告の後記損害を賠償する責任を負うものである。

3  入・通院状況及び後遺障害

(一) 原告は前記傷害の治療のため、次のとおり入通院することを余儀なくされた。

(1) 昭和五九年一〇月一九日から同年一一月七日(二〇日間)まで生野病院に入院。

(2) 昭和五九年一一月七日から同年一一月二六日(二〇日間)まで東大阪市立中央病院に入院。

(3) 昭和五九年一一月二六日から同年一二月一一日(一六日間)まで生野病院に入院。

(4) 昭和五九年一二月一五日から同六〇年九月五日(二六五日間)まで大羽病院に入院。

(5) 昭和六〇年九月六日から現在に至るまで大羽病院に通院中。

(二) 右入通院治療にかかわらず、原告の受けた傷害は完治するに至らず、跛行・左足関節歩行痛及び関節機能障害の後遺症を残したまま、昭和六〇年六月二〇日その症状が固定したが、右後遺障害の程度は自賠法施行令二条後遺障害等級別表の第一二級七号、第一二級八号との併合により、第一一級に該当するというべきである。

4  損害

(一) 入院雑費 二六万二〇〇〇円

前記入院期間のうち、二六二日につき、一日当たり一〇〇〇円、合計二六万二〇〇〇円の雑費を支出した。

(二) 休業損害

原告は、本件事故当時古紙回収業を営み、年間一〇三〇万円の利益をあげていたところ、本件事故による受傷の入院治療のため、全く稼働することができなかつたものであるから、その入院期間二六二日間の休業損害は七三九万三四二五円である。

(算式)

(10,300,000÷365)×262=7,393,425

(三) 後遺障害による逸失利益 三六三一万五七四〇円

原告は本件事故当時満三七歳の健康な男子であつたから、本件事故に遭わなければ、前記症状固定の時から就労可能な六七歳までの間引き続き少なくとも年間一〇三〇万円の利益を得られたはずであつたところ、本件事故に起因する前記後遺障害(症状固定時満三八歳)のためその労働能力を二〇パーセント喪失したものであるから、右労働能力喪失によつて失うこととなる利益の総額からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、右逸失利益の固定時における現価を求めると、その額は三六三一万五七四〇円となる。

(算式)

10,300,000×0.2×17,629=36,315,740

(四) 慰藉料 四六〇万円

原告が本件事故によつて被つた精神的・肉体的苦痛を慰藉するに足りる慰藉料の額としては、入院の日数及び後遺障害の程度に応じて算定した四六〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用 四〇〇万円

原告は、本訴の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として四〇〇万円を支払うことを約した。

5  既払金

原告は、本件事故に基づく損害の賠償として、自賠責保険から四九九万円の保険金の支払いを受けた。

よつて、原告は被告に対し、自賠法三条又は民法七〇九条に基づき、前記4の(一)ないし(五)の損害金から5の既払金を控除した額四七五八万一一六五円及びこれに対する本件事故の発生の日である昭和五九年一〇月一九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。(但し、加害車両の左後輪で原告の両脚を轢過したとの点は否認する。また傷害の内容は左腓骨開放骨折、左下腿・両足部打撲擦過傷、左下腿圧挫傷というものである。)

2  同2(一)の被告が本件事故当時加害車両を保有していたとの点は認める。同2(二)の事実はいずれも否認する。

3  同3の入院の事実は認める。

4  同4の事実のうち、(一)(入院雑費)は知らない。仮にその主張のような雑費を支出したとしても、原告の入院期間が右のように長くなつたのは、原告が治療に専念せず、また飲酒等の不節制をしたことによるものであり、本来ならば三か月程度の入院で済んだはずであるから、賠償すべき入院雑費も三か月分で十分である。

同(二)及び(三)のうち原告が本件事故当時古紙回収業を営んでいたことは認めるが、その営業により年間一〇三〇万円の利益をあげていたことは否認する。その利益はせいぜい四八三万円程度である。

同(四)は否認する。

同(五)は知らない。

三  抗弁

1  免責

本件事故は、多額の債務を抱えて経済的に逼迫していた原告が、自動車事故と見せかけて保険金を取得するため、加害車両が後退してくるのを認識した上で最小限の傷害で済むよう尻もちをついた恰好でその進路上に足を投げ出し、これを左後輪に接触させたことにより発生したものであつて、もつぱら原告の故意による事故であるから、被告に損害賠償責任はない。

本件事故が原告の故意によるものであることは、当時、原告に多額の負債があつたこと、それにもかかわらず、多額の保険料を支払つてまで他にも多数の保険に加入していたこと、重いトラツクに轢かれたにしては受傷の程度がきわめて軽微で不自然であること、本件事故の前日に既に保険金請求のための資料を入手してその準備を整えていたこと、事故の前年の確定申告において突然高額の所得を申告しておいた上、昭和五九年六月と本件の二度にわたつて引き続き交通事故に遭つていること、原告自らトラツクを所有していながら本件事故の日に限つてわざわざ被告に指示して保険金請求の容易なレンタカー(加害車両)を借りてこさせたことなどの諸事情に照らして明らかである。

2  過失相殺

仮に本件事故が原告の故意によるものでないとしても、原告は夜間で後方が見えにくい状況になつていた現場で加害車両が後退してくるのを認識していたものであるから、その進行方向前方で作業をするのであれば、加害車両の進路から十分に距離を置いた場所まで後退してこれをすべきであつたのに、その進路正面付近において前屈みの姿勢で掃除をしていたため、加害車両が接近してきた際にその直前で足を滑らせて転倒し、本件事故に遭つたものであるから、本件事故の発生については原告の右過失もその一因をなしているものというべく、損害額の算定については、この過失が斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する認否

すべて否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実のうち本件事故が発生したこと(但し、加害車両の左後輪が原告の両脚部を轢過したとの点を除く)は当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証によれば、その際、原告が被告主張のような傷害を負つたことが認められる。

二  被告が本件事故当時加害車両を保有し、これを自己のために運行の用に供していたことは当事者間に争いのないところ、被告は、本件事故はもつぱら原告の故意によつて生じたものであると主張し、原告はこれを争うので、以下、この点について判断するに、被告の右主張事実を直接に認定させるに足る原告自らの供述その他の直接証拠は全く存在しないばかりでなく、原告はその本人尋問において極力これを否定する旨の供述をしているのであつて、そのようなところからすれば、右事実を認めるに足る証拠はないといわざるをえないかのごとくである。

しかしながら、たとえ右のような直接証拠が存在しない場合であつても、本件事故発生前後の諸般の情況から、原告の故意を推認することが可能であるならば、右主張事実を認定すべきは当然といわなければならない。そこで、次に、このような観点から本件において右のごとき情況が存在するかどうかについて検討することとする。

1  原告及び被告各本人尋問の結果によれば、本件事故発生の直前の状況として次のような事実が認められる。

(一)  原告はかねてより古紙回収業を営んでいたものであるが、本件事故当日夕刻ころ、取引先に搬送すべき古紙七ないし八トン分を加害車両に積み込み、これを原告(高島商店)方事務所前の道路上に駐車させておいた上、同車両の運転を担当する被告らと同事務所内で雑談を交わしていたところ、折から雨が降り始めて、加害車両に積んだ古紙が濡れてしまう恐れが生じてきたため、加害車両を被告が運転して高島商店の事務所前の倉庫内に移動することになり、その旨を原告に告げて直ちに右事務所から出て行つた。

(二)  ところが原告も、その後すぐに右事務所から外へ出、被告が事務所前の路上に駐車中の加害車両をまもなく後退させて右倉庫に入れることを認識していながら、高島商店前の路上に散らかつているダンボール箱類の掃除を始め、事務所前から加害車両の後退してくる進路に当たる倉庫の入り口の方向へ移動しつつ、前屈みの姿勢で路上のダンボール箱を拾い上げていた。

(三)  その際、原告の目の前に後退ブザーを鳴らしながら加害車両の後部が迫つてきて、その左後輪が原告の左下腿下部及び右足部に接触したものであるが、そのときの原告の姿勢は路上に尻もちをついた恰好で、左足の先が右足の先よりも一〇センチメートル程前に出たような状態となつていた。

ところで、原告本人は加害車両の直前で原告が尻もちをついた恰好になつたのは、ダンボール箱を拾おうとして足が滑つたからであり、また、原告の両足は加害車両の左後輪に単に接触したにすぎないのではなく、両足ともに轢過されたものである旨繰り返し供述しているけれども、平坦な道路上で路上のダンボール箱を拾つていた原告の足が滑つたからといつて、尻もちをついて両足を前に投げ出すような恰好で転倒するというのはきわめて不自然なことであり、しかも加害車両は後退ブザーを鳴らしながら接近してきたものであるから、原告が直前までこれに気づかず、目の前に迫つてきた加害車両を認めてあわてて後方に逃避しようとし、バランスを崩して右のような恰好になつてしまつたものとみる余地もないのであつて、これらの点からすれば、原告の身体が前屈みの姿勢から右のような恰好に移行するには、そのような恰好になろうとする原告の意思が働いたものというよりほかはなく、原告の右供述はにわかに措信することができないといわなければならない。また、本件事故当時加害車両が七ないし八トンの古紙を積んでいたことは前記のとおりであるところ、証人原田明美の証言及び原告、被告各本人尋問の結果によれば、加害車両は四トン車でその総重量は一〇トンを越えていたこと、その後輪は幅約四〇センチメートルのいわゆるダブルタイヤであつたことが認められるとともに、いずれも成立に争いのない甲第三号証(生野病院診断書)乙第一一号証(同病院診療録)、甲第四号証(東大阪市立中央病院診断書)、乙第一二号証(同病院診療録)及び証人原田明美の証言によれば、本件事故による受傷直後の原告の症状は、左下腿下部の自発痛・運動痛・腫張・解放創及び右足部の自発痛・運動痛・軽度の腫張であつて診察した医師により左脛骨解放骨折、左下腿・両足部の打撲及び擦過傷、左下腿圧挫傷と診断されたこと、本件事故から約一カ月後に生野病院から東大阪市立中央病院に転医した際、同病院で担当の医師により前記左脛骨骨折の他に左腓骨骨折も存在する旨診断されたが、この左腓骨骨折は腓骨の折損ではなく腓骨先端の外果部にひびが入つた程度のものであつたこと、事故直後生野病院において撮影した原告の骨折状況のレントゲン写真によれば、原告の右骨折は鉄のパイプ様のもので殴られた場合に生じる骨折に類似したものであることがそれぞれ認められるのであつて、これらの認定事実からすれば、原告の両足が加害車両の左後輪によつて轢過されたとする原告の前記供述部分はとうてい信用することができないものというべく、右傷害はいずれも前記のとおり加害車両の左後輪との接触によつて生じたものと推認するのが相当である。のみならず、原告が供述するように、真実原告が足を滑らせ、足を前に投げ出すような恰好で尻もちをついたのであれば、加害車両との位置関係からみて必然的に両足が轢過されていたはずであるというべきところ、実際には右のとおり轢過の事実はないのであるから、そのことから逆に、原告が右のような恰好になつたのは足を滑らせたからではなく、前記のとおり原告の意思が働いた結果であることが窺われるのである。

2  原告が、古紙回収業を経営していたことは前記認定のとおりであるところ、成立に争いのない乙第六号証の一ないし五、原告本人尋問の結果及びこれによつて真正に成立したものと認められる甲第一八号証によれば、本件事故前後における右古紙回収業の経営状態として次のような事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  原告は、昭和五九年八月に一回支払手形を不渡りにした上、同年一二月一〇日ころ及び一二日に再び不渡りを出して事実上倒産した。

(二)  本件事故当時、原告は取引先の大本商店に約二億円の負債があつたほか、朝銀鶴橋支店、大阪商銀、大阪市信用金庫などの金融機関、更には、いわゆる街の金融業者にも約二億円の高利の負債があり、金利負担だけでも月額四〇〇万円に上つていたところ、原告の営業利益からこれを控除すれば、月々の赤字はかなりの額になり、その経営状態は苦しく、資金状態は窮迫していた。そのため、公租公課まで長期にわたつて滞納するようになり、その結果、昭和五九年一〇月から昭和六〇年一月にかけて、原告もしくはその妻の所有名義の不動産に対し、大蔵省、大阪府、大阪市が滞納処分として差押をするに至つた。

3  成立に争いのない乙第三号証(原告の昭和五八年度の納税証明書)、同第八号証(念書)、同第一六号証(京都中央信用金庫十條支店の回答書)及び証人原田明美の証言並びに原告本人尋問の結果によれば、本件事故発生前における原告の不審な挙動として、次のような事態が認められる。

(一)  本件事故当時、前記のとおり原告の経営状態が苦しく、資金状態が窮迫していたのにもかかわらず、事故などによる受傷の際の療養補償や所得補償のための保険金支払いを内容とする高額の保険契約を多数口(明らかなものだけでも生命保険三口、損害保険五口)締結し、その保険料だけでも月額約四〇万円に達していた。

(二)  このため、本件事故後、右保険契約に基づいて原告に対し昭和五九年一二月三日から昭和六〇年一〇月一一日までの間に安田火災海上保険株式会社など損害保険会社六社から約二九八〇万円、生命保険会社三社から約五九八万円の保険金が支払われたが、そのうち安田火災海上保険株式会社から支払われた保険金の請求の際に所得額の証明資料として提出された原告の昭和五八年度の納税証明書は、右保険金請求についての原告の代理人であつた松原稔がすでに本件事故の前日である昭和五九年一〇月一八日に生野税務署から交付を受けていたものであり、しかも右納税証明書の使用目的は、金融機関から融資を受けるためでもなければ、他人の債務の保証人になる際の資力の証明のためでもなかつた。

(三)  なお、原告は、本件事故の約四か月前である昭和五九年六月ころ、本件被告と同様回収した古紙を原告方へ納入していた石田某の運転する車両に同乗していた際に事故に遭い、保険金の支払いを受けたことがある。

以上認定の1ないし3の事実関係を総合して考えるならば、原告は、資金繰りに窮したことから、自動車事故と見せかけて保険金を取得する目的で、加害車両が後退してくることを認識しつつ最小限の傷害で済むようにわざと尻もちをついた恰好でその進路上に足を投げ出し、これを加害車両の後輪に接触させたもの、すなわち、本件事故はもつぱら原告の故意によつて発生したものと推認するのが相当であり、右推認を妨げるに足る事情及び証拠は見当たらない。

三  成立に争いのない甲第二〇ないし二五号証及び被告本人尋問の結果によれば、被告に請求原因2(二)のごとき過失があつたことが窺われないではないけれども、本件事故が原告の故意によつて発生したものと認められること前記のとおりである以上、被告の過失の有無にかかわらず本件事故は発生していたものといわなければならず、その意味において、被告の右過失と本件事故との間には因果関係がないというべきである。

四  そうすると、原告の被告に対する自賠法三条に基づく請求は同条但書の免責が認められることにより、また、民法七〇九条に基づく請求は右因果関係が認められないことにより、いずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないことになるのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原弘道 田邉直樹 井上豊)

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